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WackyFactory 管理人室

KAWAI JEWEL KTJ 3241

kawai_jewel_ktj.jpg

私が10歳になる少し前に父がくれた楽器。この楽器がなければ、そしてそれを父が私に与えてくれなかったら、いまの私はなかった。

レッドブラスのベル、2ピースのバルブケーシング、1番トリガー、3番スライドストッパー、六角柱形状の延べ座、洋白部分両端の溝など、かなり凝った作りをしている。相当な高級品だったに違いない。ボーナス全額はたいて、というのもいまならよくわかる話だ。ショウウィンドウの中で輝いていたこの楽器を、40年前の父はどのような思いで眺めたのだろう。

3番ピストンが欠けている。どうしてそうなったのか、経緯はよく覚えていないが、しかしそうしたのは間違いなく自分のはずだ。ほかにその楽器を使った人間はいないのだから。

なんとしてもまた音が出る状態にしたい。それがどんな音を奏でていたのか、もう一度この耳で確かめたい。

クレンツェ再々始動

Aづみ(伏せ字意味なし)くんをメンバーに迎えて活動再開。過日顔合わせを兼ねて練習。なんの違和感もなし。すばらしい。5月頃に演奏会をやる方向で調整中。

Windisch B管用に親指かけを作ってみた

  • Posted by: WAKI Toshihito
  • 2009年11月21日 23:17
  • 楽器 | 音楽

こんなの。

windisch_bar1.jpg

装着したところ。

windisch_bar2.jpg

ハンダ付けがいかにもシロウトだがまあいいや。それよか強度的に不安。1週間で壊れたりして。次はロウ付けでやってみよう。

Windisch B管に銀メッキしてみた

  • Posted by: WAKI Toshihito
  • 2009年11月 8日 01:58
  • 楽器 | 音楽

こんな感じ。

windisch2.jpg

新品みたいにつるつるのぴかぴかというわけにはいかなかったけど、まあ見られるようになったかな。ノーラッカー特有の怖さがなくなって、だいぶ取り扱いが楽になった。音はどうかわったか、次回の練習が楽しみ。費用は27000円ほど。ちなみに実はシルバーとニッケルシルバーのツートンカラー(^^;。(要するに全面メッキはめんどくさかった)

これは前の状態。

windisch1.jpg

まだメッキ液が30mlほどあまっている。いっそレヒナーのピッコロも(いずれ金メッキするのを見越して)下地に銀メッキ施そうかなあ。

興味のある方はこちらへ。
http://www.higasi-osaka.com/nissin/sub1.htm
kodak さん貴重な情報ありがとうございました(譲っていただいた楽器こんなにしちゃってすみません)。

突如DIYブーム

  • Posted by: WAKI Toshihito
  • 2009年10月25日 01:08
  • 日常

その1。オーディオラック。
2009102501.jpg

その2。整理棚。肝心の楽譜と小物は未整理だけど。
2009102502.jpg

今後の予定。

その3。ヴィンディッシュB管用に右親指バーを製作。ほんとは洋白で作りたいけど真鍮で。強度がやや不安。

その4。ヴィンディッシュB管に銀メッキ。日清工業の「めっき工房」利用。発注済み。納品が楽しみ。

その5。楽器部屋の窓を二重サッシに(したいなあ)。トステムの「インプラス」利用。部屋丸ごと防音工事は金額的に無理だけど、サッシだけ自前工事なら手が届きそう。まあそのうち。

その6。楽器部屋のドアの防音加工。これもそのうち。

結局ほとんど楽器関係。

父のこと、つづき

  • Posted by: WAKI Toshihito
  • 2009年10月17日 03:17
  • 日常

9月20日。その日私は山形にいた。酒田市で行われる日本アマチュアブラスアンサンブル組織(NABEO)のフェスティバルに参加するためだった。翌日は演奏会本番。前夜祭の盛り上がりも最高潮を迎えようかというとき、ポケットの携帯が震えた。母からのメールだった。

いまどこ? 血圧低下しています。人工呼吸器もう一度つけますか

肺炎の再発だった。医者の判断はどうなのかを問う返事を書いたが、その日母からはもう返信はなかった。迷ったが、その日それから帰宅するのは不可能だったこともあり、帰れるとしても翌日の夕方になる旨を実家の弟にメールし、様子を見つつ翌日午前の本番を終えてから帰ることにした。ただ翌日の本番は最悪で、3曲組曲の2曲目まではなんとかごまかしたものの、3曲目で頭も体も完全に機能停止してしまい、数分の間ほとんどなにも音を出せないまま、ただ呆然と音符が流れ去っていくのを後ろから見ているだけだった。メンバーのみんなには本当に申し訳なかった。いたたまれず、楽器をしまうと着替えもせずに会場を抜け出し、T氏に駅まで送ってもらって山形から逃げ帰った。

父は、その半月ほど前から入院していた。腰の激しい痛みを訴えて外来を受診し、そのまま入院。その時点ですでに意識が朦朧としていたらしい。翌日になって急激に肺炎を起こし意識不明、私が駆けつけた頃に挿管となった。その時点でもうだめかと思ったが、持ち前の体力からか、奇跡的に回復し、やがて意識も戻って呼吸器も外すことができた。当初いわゆるせん妄(あるいは肝性脳症もあったのかもしれない)で意識が混濁し、まともな会話はできなかったが、その後は自力で食事をとり、大部屋に移るまでの回復を見せた。私が山形行きを最終的に決意したのはその頃だった。

その前に父に会ったのは、お盆の頃だった。その時も父は入院中であった。診断は肝膿瘍であったが、その検査の過程で大腸に「なにか」が見つかったとのことだった。主治医の説明を聞きながら見た写真に、たしかに腫瘍らしきものが写っていた。

その翌日、父は外泊の許可をとった。私が息子を連れて実家に泊まりに行っていたからだった。子供は前々からじいちゃんとクワガタ取りに行きたがっていた。その晩、父を助手席に乗せ、母と子供を後席に乗せて、夜の山道へ向かった。道路脇に車を止め、街灯の下を獲物を探して歩いた。事前に確保していた虫を道ばたに放し、いたよー、と子供を呼ぶ。文字通りの子供だましの演出だったが、それでも楽しかった。ならんで歩く父と母の姿を見たのも、父とまともな会話をしたのも、それが最後だった。

・・・

私が小学校五年生のとき、母方の祖父が亡くなった。それが私にとって初めての身近な人の死だった。その頃、何ヶ月か?の間、母に連れられていくつもの病院を回ったことをよく覚えている。そしてある夏の日、父と妹弟と、車の中で横になりながら不安な夜を過ごし、最後に死の知らせを聞いた。本当にそのことの意味を理解していたかどうかは別として、私は車の中でしばらく泣いた。その後しばらくの、母の悲しみにくれた姿が、いまでも目に焼き付いている。

いまから思えば、これが、人間の存在に対する漠然とした不安の芽生えるきっかけだったのかもしれない。死の確かさに対する恐怖と、生の不確かさに対する不安。人はなぜ生まれ、なぜ生き、なぜ死ぬのか。思春期、毎日のように自分が死ぬことを想像した。中学の担任との交換日誌で、死について、生について、問うた。結局よくわからなかった。芥川やカフカ、中島敦などを読みあさったのもこの頃のことだ。その不安は、結局、今に至るまでどこかに染みついて離れないまま、心の中にずっと潜み続けてきたのだと思う。それが、父の死によって、ふたたび呼び覚まされたのだろう。あの日以来、自分はずっとどこか不機嫌なままである。みんな、ごめん。

ひょっとしたら、と思うのだが、父もまた、生の不安にさいなまれていたのだろうか。父は、若くして弟をひとりなくし、また母と父を(私にとっての祖母と祖父を)立て続けになくした。母の言によれば、父の酒量が一気に増えた(このことが父の肝臓に致命的な打撃を与えることになるのだが)のは、祖母が亡くなってからのことだという。後になって聞いた話だが、祖母は父をことのほかかわいがっていたらしい。父もまた、表には出さなかったが、自分の母を深く愛していた。

・・・

私がふたたび父のところへ行ったのは、山形から戻った翌々日だった。なんとなく一度目と同じように回復するのではないかと思っていた。が、現実はそうではなかった。私は、山形に行ったことを、(たとえ意識が混濁していたとしても)一時回復したときに訪ねなかったことを、後悔した。

病室に入ると、目を開けられないように、両方のまぶたに透明なテープがべったりと貼られていた。前の時と違って、自発呼吸との競合でリズムが乱れることもなく、一定の間隔で呼吸器の音が響いていた。私は父に話しかけ、頭をなで、手を握り続けた。テープの貼られたまぶたの隙間に、涙が浮かんでいた。薬で眠っていたはずだが、話が通じたのかもしれないと思った。65、50、25。30分ごとの計測のたびに、少しずつ血圧が下がっていった。やがて医師が現れ、瞳孔を確認し、時刻を告げた。

一度病室の外へ出され、呼ばれて再度戻ってみると、呼吸器が外され、両目のテープがはがされていた。唇に固着していた血液も、きれいに拭き取られていた。私は、最近新調したというひげ剃りで、父のひげを剃った。最新型の電動ひげ剃りのはずなのに、うまく剃れなかった。看護師さんが丁寧に丁寧に化粧をしてくれている様子を、手を握ったまま、そばで見ていた。

父のこと

  • Posted by: WAKI Toshihito
  • 2009年9月25日 23:32
  • 日常

眠りについた父の傍らで、ラッパ片手にビールを飲む。久しぶりのヱビスはなんだかちょっと苦かった。聞こえるはずのない寝息が聞こえたような気がして目をやると、変わらぬ表情で父はそこに眠っている。

「10歳になったらお前にあれをやるからな」
そういっていた父は結局、10歳になる少し前にそのトランペットをくれた。母に黙って、就職して最初のボーナスを全部はたいて買ってきたというカワイの楽器だった。それから30年、自分はずっとトランペットを吹き続けている。

思い出の中の父はいまでも30代で、壮健という言葉そのままに、体中に力がみなぎっていた。その時期の自分は5歳くらいから中学校を終わるくらいまでの少年期にあたる。その頃、毎年のように車でキャンプに出かけて海釣りをしたり、山に入って虫取りをしたり、またなにかを作るといってはその手伝いなど、父にはいろいろなことを教わった。

それが10代も後半になると、いつか自分は家族という存在を疎んじるようになった。何回か、家族でどこかへ旅行に出るといっても自分は行かないと言ったりしたが、じゃあそのかわりにいったいなにをしていたのかというとよく覚えていない。そして18になったとき、大学入学とともに家を出て、その後は年に1回か2回、せいぜい1泊の帰省をする程度だった。家を出た後の21年間、父がどのような人生を送っていたのか、自分はほとんど見ていない。

父と息子とは、難儀な関係ですね。お父さん。
自分にも息子ができて、それが4歳になって、いろんなことが少しずつわかりかけてきました。40歳を目前にして、遅まきながら、ようやく、親の立場、子供の立場、その両方が見えてきたところでした。社会的な立場もやっと安定し、居を定めることもできました。だからなおのこと、これからいろいろなことを聞きたいと、話したいと、思っていました。

思い出したのです。忘れていたけど、疎んじてそっぽを向いてばかりいたその時期の前、たしかに私はお父さんが好きでした。少年の日々、たくさんのことを教わりました。そのひとつひとつが、いまの自分を形作っています。やっとこれから、21年分の不孝の埋め合わせができると思っていたのに。残念という言葉では表せないほど、後悔が渦巻いています。あのとき、自分も行くと言っていたら。もっとたくさん家に帰っていたら。

時おり、まぶたが動いたように見える。頭が動いたように見える。けれども、それはすべて錯覚。


2009年9月23日14時19分、父 和氣三雄、永眠。63歳。

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なにかと首の回らない30代?アマチュア金管奏者に贈る、Lifehack 的 Daily Exercise 術

  • Posted by: WAKI Toshihito
  • 2009年8月16日 02:13
  • 楽器 | 音楽

必要なもの

  • 自室
  • 楽器
  • 楽器スタンド
  • プラクティスミュート数種類
  • 出勤前 or/and 就寝前の30分
  • ある程度のカネ

心得

  • 一番気に入っている楽器を使う。B管でもC管でも、ピストンでもロータリーでもOK。ただしピッコロは念のためやめておく。私はロータリーC管を使用。また、プラクティスミュートを使うことが前提。
  • 毎日繰り返すための練習メニューを組み立てる。ものすごく簡単なことから、少し簡単なことへ。時間はぶっ通しで吹いて30分程度。自分の弱点のうち一番ダメことをひとつだけ組み入れる(私の場合はアタック)。得意なことはやらない。ただしすごく難しいこともやらない(やれない)。エチュードをどんどんパクる。ただし譜面はパクるが説明は読まずに好きなように解釈&利用する。これは私の場合のサンプル
  • アタック、音程など、細かいことは気にしない(特にメニューの前半は)。メニューをこなすことを第一に考える。なにしろこっちは忙しいのである。明後日は今日よりはよくなっている。とにかく早く片付けて出勤(就寝)すること。
  • 楽器は片付けない。マウスピースを挿したまま、常にスタンドに立てておく。そうして、楽器を手に取るにあたっての障壁を可能な限り排除しておく。ツバ抜きのぞうきんも部屋の中に放置。どうせそのうち乾く。当然譜面台も立てっぱなし、譜面も置きっぱなし。地震が来たら不運だったと思ってあきらめる。
  • チューナー、メトロノーム(イヤフォン付)などもすぐに使える状態にして目につく場所に放置しておく。ただし放置しておくだけで常には使わない。そんなに細かいことをやっているヒマはない。あくまで気が向いたとき(かつ時間のあるとき)のため。
  • 調子が悪いと思ったらミュートを変える。息の通り具合、アタックの明瞭さがまったく異なって聞こえる。所詮そんなもんである。メインのミュートは決めておいた方がいいが、それでダメならミュートを変えればうまく聞こえる。ちなみに私はヤマハのサイレントブラス、ベストブラスのウォームアップミュート、自作のコーヒー缶ミュートを使用。メインはヤマハ。コーヒー缶はアタックが楽にできるので自分的にはおすすめ。ただし使いすぎると息が細くなるかも。
  • 念のためもう一組楽器とプラクティスミュートを用意しておく。理由はミュートと同じ。これもスタンドに立てっぱなし。私の場合はロータリーフリューゲル。
  • 部屋にはエアコンと鏡を装備する。エアコンは金がかかるが、室外機のノイズがラッパの音をかき消してくれるので重宝する。鏡は百円ショップの小さな手鏡で十分。これを部屋の壁の、顔の高さに貼り付ける。気の散りがちな人も自分の顔を見るとなぜか集中できる。
  • 楽器を改造することを躊躇しない。気になることがあったらどんどん手を入れる。うまくすれば1万円で1年分の練習成果が買える。
  • 練習の最後に、毎日必ず5秒間だけ、ミュートを外してオープンで吹く。その5秒がミュートとオープンの吹奏感のギャップを埋めるのに役立つ。たった5秒なら隣人も苦情を言うまでには至らない。どうしても気になるなら押し入れやクローゼットにベルをつっこんで吹く。それでも十分。

なおこれはあくまで Daily Exercise であって本番のための練習ではない。本番に向けてテンションと自分の力を高めていくためには別途なにかが必要。ただし、ここに書いてあることを日々実行していれば、たぶん本番モードへの移行もそれほど難しくはないはず。

離脱症状

  • Posted by: WAKI Toshihito
  • 2009年8月16日 02:12
  • 日常

久々のエントリ。1年半以上飲み続けたクスリをやめた。ただいまウワサのシャンシャンビリビリを満喫中。めまいも相当だが、これって酔っぱらったときの感覚に似てる?と思ったらさほどつらくはなくなった。しかし頭を左右に動かすたびにいちいち頭の中がしゃりしゃり言うのはあまり気分のよいものではない。数週間で治まるかしら。

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