- 2008年10月14日 23:14
- 音楽
ずっと引っかかっていた、打ち上げで聞いたコメント(文言の細部は違っているかもしれない)に対する反応。
- 「技術的に難しいことばかりやろうとしていて、お客さんに対するサービス精神を忘れていないか」
難しいことをやりたいわけではなくて、やりたいことが難しいのです。なんて言うとただの言葉遊びになってしまうので、いちおう説明すると。
「サービス精神」ということが、単なる表面的なエンターテインメント性の表出を意図してのことなら、「それは違う」と言う。聴き手を喜ばせるという側面はもちろんあろうが、それとて「あなたが喜んでくれることが私はうれしい」ということには違いない。つまりは私の喜びのため、である。
だが、より重要なのは、そういうことではない。
感動とは、ある種の巻き込まれ行為である。つまり、表出する側が大きく心を動かせば、(そこにどんなメカニズムが働くのかは自分にはわからないけれど)表現を受け取る側も結果的に大きく心を動かすことになる。その点で、音楽は(いやおそらくさまざまな芸術は)、第一義的には、表現者本人のためになされるものであると思っている。それがたとえアンサンブルによる演奏という形態を取るものであっても。
もちろん、聴き手の存在を無視しているわけではない。上記のコメントが、演奏家の魂の表出が聞き手の魂を巻き込むほどには十分なされていないという意味での批評ならば、それは納得できる。そういう意味では確かに力不足であろう。逆に言えば、何人かから、感動した、かっこよかったというコメントをもらって、少なくとも一部には届いていたんだなと思えて素直にうれしかった。
つまりは、表現することを強く希求する魂がおのれの内に確かにあって、それを実現するために必要なだけの確実な技術がほしいということである。その点で、桑田や中村俊介のような精神のあり方に強く共感する。聴き手をどれだけ感動させられるかということは、結局のところ、演奏者がどれだけ心の動きを十全な形で表出できるかということにかかっていると言って差し支えあるまい。「聴衆へのサービス」を考えるなら、まずは自分の心とウデを磨かねばならない。
- 「そんなのNABEOらしくない」
それは違うだろう。そもそも「NABEOらしさ」とは何か。40団体200名のそれぞれに個性があり、それらのせめぎ合いのほんの一角があそこにあらわれているのであって、それを十把一絡げに「らしさ」なんて言うのは乱暴きわまりない。