- 2011年2月17日 00:34
- 日常
少し前の記事だけど。安野光雅が、こんなことを言っていた。
おやじが死んだ72歳が「命の目安」になった
この感覚は、いまはとてもよくわかる。父が63で死んで、自分の命の目安はそこにある。
子供が生まれてから5歳までの人生と、記憶にある5歳ごろからの自分の人生と、40を過ぎてから死ぬまでの父の人生と。それらがごく自然につなぎ合わさって、1本の糸になった。
そうか。
こうやって生まれて、こうやって生きて、こうやって死ぬんだ。そのことが見えて、死ぬことがすんなり受け入れられたような気がする。
もちろん、さいごは苦しむのだろう。なにしろこれだけたくさんの親類が、同じ病で死んでいる。そして、あろうことか、...いや、やめよう。ともかく、間違いなく自分もその運命にある。だけれども、不思議と怖くはなくなった。
なにかで書いたかもしれないが、中学生くらいまで、死ぬことが怖くて仕方なかった。なぜ生まれて、なぜ死ぬのか、それが知りたかった。いまも、その疑問に対する答えは見つからない。けれども、ごく自然に、そういうものなのだと思える。それは、父が身をもって命の終わりを示してくれたから。
あと20年ちょっと。